C.セドン~史上最強の初見殺しサウスポー

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やっほーおはあんず~

今回取り上げたいのは、2014年に来日し、初登板で数々の記録を塗り替える衝撃のデビューを飾ったクリス・セドン投手です。

このデビュー戦で一気に期待を集めながらも、その後は不安定な投球の連続で、1年限りでの退団となってしまったセドンについてまとめていきます。

主な経歴

当初アメリカで鳴かず飛ばずのリリーフだったセドンは、2013年のj韓国リーグ移籍をきっかけに覚醒。

先発投手として、同年リーグ最多となる14勝を挙げる活躍を見せると、そのオフに巨人と契約。

アジアの野球に慣れている先発投手として、期待が寄せられました。



シーズンが始まると、早速3試合で2勝を挙げる上々の滑り出し。

ところがそこから3連敗で2軍降格となると、8月まで1軍復帰を果たせず。

復帰した8月はまず連勝スタートを切りましたが、3試合目で炎上して一旦ファームへ。

優勝目前の9月終盤に再々登録されたものの結果を出せず、ポストシーズンにも登板することなく1年限りでチームを去りました。

 

通算成績

2014 10 4 5 52 58 37 20 4.67
10 4 5 52 58 37 20 4.67

ぱっと見そこまで極端に悪いわけでもありませんが、何が何でも内容が不安定すぎました。

先発した10試合のうち、7試合がイニングの途中交代で中継ぎの負担となり、4試合が4回までに降板。一方で1失点以下が4試合あるなど、いいときと悪いときがハッキリした投手でもありました。

 

また、後述する奪三振に関しては、初登板で15を稼いだものの、その後は2イニングに1つペース。

6試合が奪三振2以下に終わるなど、初登板は本当に何だったのかと思わされたピッチャーでした。



PICK UP GAME

2014年4月9日vs広島第2回戦(東京ドーム)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
0 2 0 0 0 0 1 2 × 5

:C.セドン(1勝)

:大瀬良大地(1敗)

セーブ:西村健太朗(1勝3S)

本塁打:J.ロペス5号(2回2ラン)橋本到1号(7回ソロ)L.アンダーソン3号(8回ソロ)村田修一2号(8回ソロ)

試合概要

捕手の實松一成を除き、スタメン野手全員が打率3割を超える絶好調だった、当時の巨人打線。

この日も広島先発ルーキー・大瀬良大地に序盤から襲いかかって、2回にロペスの2ランで2点を先制する。

打線はその後決め手に欠く攻撃が続いたものの、7回に橋本到が東京ドーム初アーチをライトスタンドに架けて追加点。ピッチャーが代わった8回には、アンダーソン、村田修一と2者連続本塁打が飛び出して勝負あり。

好投を続けたセドンに打線も応え、セドンは初登板初勝利を飾った。

活躍

先発候補の新外国人として期待されたセドンでしたが、オープン戦は3試合で防御率8.00と絶不調。

それでも外国人は始まってみないと分からないということで、6番手として開幕ローテに入っていました。

ところがその予定日が、雨のため順延に。1週間飛ばされて、開幕4カード目でようやくの来日初登板になったのがこの日でした。



期待よりも不安が多めのファン心理で迎えたこの日でしたが、蓋を開けてみると、セドンの繰り出すボールに広島打線が全くタイミングが合いません。

ストレートは140km/hでない程度。ただ、変化の大きなスライダーとチェンジアップが魔球の様に働き、積み重なっていく三振の山。4~6回にかけては、アウト9個中8個を三振で奪う投球でした。

 

そのままあれよあれよと投げ続け、8回まで無失点。来日初登板初完封を目指した9回に1点を失って、西村健太朗のリリーフを仰いだものの、十分すぎる投球内容で、来日初勝利。

この日奪った15奪三振は、初登板の投手の中ではプロ野球史上最多、外国人投手の1試合最多奪三振タイ、史上初の初登板毎回奪三振と、記録ずくめの初登板となりました。

 

思いで

先ほど「いいときと悪いときがハッキリした投手だった」と書きましたが、これはもっと細分化できます。

正確には、「(その球団との)初対戦では抑えるけど2回目以降は通用しなくなる投手」でした。

10試合のうちちょうど初対戦が5試合、2度目以降が5試合あるんですが、その差が非常に顕著です。

初対戦・・・5試合4勝0敗,防御率1.89

その他・・・5試合0勝5敗,防御率9.64



おそらく、緩い変化球でとにかくタイミングを外されるため、長身サウスポーということもあり、準備がないとストレートも変化球も両方が魔球に感じられるんだと思います。

ところがある程度頭に入ってしまえば、ストレート自体は速くないのでなんとかなる。それが生きなければ変化球も意味がいない。

というループに突入したんだと思います。

さすがに来日後の最速141km/h(平均130前半)では話になりませんでした。この反省も踏まえて、翌年は速球派のポレダ獲得の流れになったんでしょう。

 

そんな中で、個人的にやってみて欲しかったのが、交流戦の先発です。

私はこの傾向に比較的早い段階で気付いていたので、必然的に初対戦となる交流戦で片っ端からぶつけまくれば面白いんじゃないかとも考えていました。

実際当時の日程でシミュレーションしたら、その気になれば中5日以上を空けて5球団との対戦が可能でした。

本当に実践したら、とんでもないことになっていたかもしれません。

 

ただしこの年は、交流戦優勝を足がかりにリーグ優勝を達成しているので、現実的には交流戦では投げなくて正解だったと言えそうです。

じゃあね~また明日~

おつあんず~





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