W.オビスポ~先発起用で覚醒した育成出身右腕

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やっほーおはあんず~

今回取り上げたいのは、2000年代後半に巨人で活躍した育成出身外国人、W.オビスポ投手です。

2007年に来日し、2009年は先発転向で大活躍だったオビスポについてまとめていきます。

主な経歴

当時22歳だった2007年の春季キャンプにテスト生として参加すると、潜在能力が認められて育成契約。

150km/h後半の剛速球で2軍を抑え込み、同年中に支配下登録となった。

1軍デビューは2007年の8月。外国人枠の都合もあり2試合のみの登板に終わったが、いずれも無失点で抑えた。

 

順調なスタートを切ったオビスポだったが、オフに故障のため育成選手として再契約。

2008年は7月末に支配下に復帰したものの、シーズン通して1軍登録はなく、2軍でもクローザーとして防御率4.24に終わるなど、不完全燃焼のシーズンとなった。

そして2009年は、チーム事情もあって先発投手に転向。

これが功を奏して2軍で好投を続けると、クルーンの故障で外国人枠が空き、7月2日に初先発。

その日の試合で、育成出身選手として史上初の先発勝利を挙げたオビスポは、あれよあれよとローテーション入り。

外国人枠の都合で一度抹消になったりしたものの、シーズン7千発で6勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。

さらにはCS、日本シリーズにも先発して、勝利投手になった。



この実績から2010年は先発の一人として期待されたものの、思うような結果が出ずに2勝止まり。オフにトレードで日ハム移籍が決まると、2011年限りで日本を去ることになった。

 

巨人通算成績

H
2007 2 0 0 0 1 1 1 0.00
2009 14 6 1 1 11 48 58.2 2.45
2010 14 2 3 1 18 22 48.1 5.21
30 8 4 2 30 71 108 3.67

オビスポといったらノーコンで制球力に課題がある印象がありますが、実は巨人での通算与四球率は2.50と、かなり優秀な数字を記録しています。

来日最初の2年は、イースタンで与四球率5点台を記録しているので、徐々に適応していけた結果でしょう。

 

それでもなぜか制球難の印象が拭えない理由が、死球の多さです。巨人での108イニングで計11個の死球を与え、与四死球率に換算すると3.42に跳ね上がってしまいます。

また、速いストレートの割に甘いゾーンに集まって長打を食らうことも多く、巨人時代は計16被本塁打。

勝利投手になった日本シリーズでも、3本の本塁打を浴びています。



PICK UP GAME

2009年9月23日vs中日第21回戦(東京ドーム)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
0 0 0 0 3 0 0 0 0 3
0 1 0 3 0 0 1 0 × 5

:W.オビスポ(5勝)

:山井大介(3敗)

セーブ:M.クルーン(1勝27S)

本塁打:谷佳知11号(2回ソロ)A.ラミレス30号(4回ソロ)

試合概要

同一カード3連勝で優勝が決まった運命の中日3連勝は、初戦2戦目を無事に勝利。

この日勝てば優勝決定の状況を迎えていた。

この大一番に、巨人はこの年ブレイクした育成出身外国人の、オビスポを先発に起用。オビスポも期待に応えて、4回まで1安打ピッチングを披露する。

そして打線は、2回に谷佳知の11号ソロで先制すると、4回はラミレスのホームランを起点にタイムリー2本が飛び出して3点を追加。試合の主導権を握る。

 

その後1点差まで追い上げられたものの、7回裏にラミレスのタイムリーが生まれて勝負あり。

代打の大道典嘉が出塁し、代走で鈴木尚広を送り、坂本勇人にバントをさせ、木村拓也が繋ぎ、小笠原道大が決められなくても、4番のラミレスが結果を出しました。

最終回。

クルーンが立浪和義をサードライナーに打ち取ると、マウンドに歓喜の輪が広がった。


活躍

この試合はオビスポの活躍抜きには語れません。

まず先発投手として、7回3失点の力投。4回までは1安打でピシャリと抑え、5回に3ランこそ浴びましたが、6回7回はパーフェクト。

終わってみれば7回わずか93球。四死球0で奪三振2の、打たせて取る快投でした。

 

さらにバットでは、3点差に広がった4回1アウト1・3塁で打席へ。

ここで最初からバットを寝かせて1塁走者を送る構えを見せると、投手と一塁手の間に絶妙なプッシュバント。

これがセカンドの前まで転々と転がって、その間にサードランナーがホームイン。自身も生きるタイムリー内野安打となりました。

 

思いで

オビスポがいた時代の外国人は、ラミレス、グライシンガー、クルーンをはじめ絶対に外せない選手も多く、オビスポにはあまり出番が回ってこないはずでした。

それでも追い風になったのが、ラミレスのFA取得に伴う日本人扱い。これで少し余裕が出来て、2009年に来たチャンスを掴みました。

 

そんな経緯もあってか、とにかくみんなから愛されていた印象です。

外国人選手は自分の道を行くことも多い中で、オビスポはチームの輪の中心にいて、溶け込んでいたんじゃないかと思います。

じゃあね~また明日~

おつあんず~





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