越智大祐~雷神が降臨した魂の4年間

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やっほーおはあんず~

今回取り上げたいのは、同期入団の山口鉄也さんとともに、風神雷神コンビとして一時代を築いた、越智大祐さんです。

現役晩年は国指定の難病に苦しみ、短い現役生活となった越智さんについてまとめていきます。

主な経歴

新田高校から早稲田大学を経て、2005年の大学社会人ドラフト4位で巨人に入団。

最初の2年間は2軍での登板が続き、それぞれ13試合。22試合で防御率5.87、3.07と、決して目立つ存在ではありませんでした。

それでも2008年に開幕1軍の座を掴むと、そこから一気に覚醒。ストレートとフォークボールをアバウトな制球で操る荒々しい投球で相手打線をねじ伏せ続け、チーム最多の68試合に登板しました。

 

翌年以降は、同期入団の山口鉄也とともに「風神雷神」コンビが定着。

1点を争う終盤のセットアッパーとして、チームのブルペンになくてはならない存在でした。

 

ところが2011年に不調のため2軍スタートと出遅れると、回りの投手が統一球で大きく成績を上げる中、42試合で防御率2.75と煮え切らない成績に。

翌2012年は開幕1軍だったものの打ち込まれ、わずか5試合で登録抹消。

その後、国指定の難病である黄色靱帯骨化症を患っていたことが判明。長いリハビリ生活に突入します。



結局2012年は実戦復帰を果たせず、2013年はイースタンで15試合に登板したものの、防御率10.64と散々な結果に。

翌14年には背番号「22」をルーキーの小林誠司に奪われ、2年連続で1軍登板無し。

イースタンでは30試合で防御率3.55と若干の回復もみられましたが、2軍相手に25回で13奪三振と、本来の越智大祐の姿はありませんでした。

結局この年限りで戦力外通告を受けて、現役引退を決意しました。

 

通算成績

H S
2008 68 3 3 10 0 101 71.1 2.40
2009 66 8 3 24 10 70 71 3.30
2010 59 4 4 21 5 49 56.1 3.20
2011 42 3 2 11 0 43 39.1 2.75
2012 5 0 1 0 0 0 4 11.25
240 18 13 66 15 263 242 3.05

パッとみの印象だと、通算66H(84HP)は感覚よりも少ない数字なんじゃないかと思います。

同時期の山口鉄也さん(2008~2011)は、103H(135HP)でした。

成績面で圧巻なのが、2008年の101奪三振。9イニング当たりの奪三振率に換算すると、12.74。ざっくりアウト2つに1つくらいは三振、という計算です。

恐れることなく腕を振り続けた勲章といえるでしょう。



PICK UP GAME

2010年4月29日vs中日第6回戦(ナゴヤドーム)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
1 0 0 1 0 0 0 0 1 3
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1

:東野峻(5勝)

:チェン・ウェイン(3敗)

セーブ:久保裕也(1勝1S)

試合概要

前日の試合で6連勝がストップした巨人はこの日、開幕1ヶ月で4勝を挙げて頭角を現していた、東野峻を先発マウンドに送る。

その東野を援護すべく、打線は初回に阿部慎之助のタイムリーヒットで1点を先制。4回には相手エラーで加点するなど、試合を優位に進める。

援護をもらった東野は、序盤ヒットや四球で走者を背負ったものの、後1本を許さず無失点。4回から7回にかけてはパーフェクトピッチングで、中日打線を寄せ付けない。

 

球数が嵩みながらも、完封まであとアウト4つに迫った東野だったが、8回2アウトランナーなしから、井端弘和、森野将彦に連続ヒットを許して2・3塁。一打同点、一発出たら逆転の場面で、2番手・越智大祐にマウンドを譲る。

その越智が、ブランコから空振り三振を奪ってピンチを脱すると、9回には脇谷亮太のタイムリーで追加点。

その裏2アウトランナーなしから抑えのクルーンが三者連続四球の大荒れをみせるも、急遽登板した久保裕也が後続を断って試合終了。

手に汗握る投手戦を制した。


活躍

中継ぎ投手として名乗りを上げて3年目の越智さんは、この年開幕1ヶ月は防御率0点台と、最高の滑り出しを迎えていました。

この試合は8回2アウト2・3塁から登板して、ブランコをストレートで空振り三振。マウンド上で雄叫びを上げました。

わずか6球の投球でしたが、「越智大祐」という投手を象徴する試合として、今でも記憶深くに残っています。

 

思いで

越智さんの存在を最初に認識したのは、2008年の開幕戦。開幕投手だった高橋尚成さんが交代した後、急に聞いたことのない投手が登板していました。

正直その時は「敗戦処理」に近いマウンドで、特に何とも思いませんでした。それでもその年どんどん登板を重ねて、チームのブルペンの一角に。

「コントロールが悪い投手」

という、決して好みではないタイプの選手ながら、どんどんその魅力に引き込まれていきました。むしろ、制球に難がある投手の楽しみ方を教えてくれたのが、越智大祐というピッチャーでした。

 

現役生活9年間で、まともに投げられたのは4年間。

周囲の期待通りの成績だったのは、最初の1年間だけだったかもしれません。

それでも投球スタイル同様「太く短く」を絵に描いたような野球人生は、今後も語り継がれることでしょう。

じゃあね~また明日~

おつあんず~





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