姜建銘(ジャン・チェンミン)~将来を嘱望された若手台湾人右腕

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やっほーおはあんず~

今回取り上げたいのは、2005年のシーズン途中に台湾の大学から巨人に加入。一時は先発投手として将来を嘱望されたこともあった、姜建銘(ジャン・チェンミン)さんです。

今や懐かしの姜建銘の、巨人での活躍ぶりについてまとめていきます。

主な経歴

台湾で一度国立体育学院に進学すると、その在学中に巨人の入団テストをパスして契約。2005年の7月に、チームに合流した。

その後も大学に籍を置きながらのプレーを続け、2006年にプロ初登板。中継ぎで結果を残すと、シーズン終盤には先発に配置転換され、3勝をマーク。防御率1.81を記録するなど、チーム投手陣でも随一の安定感を誇った。

 

エース候補としても名前が挙がり始めて2007年は、背番号を17に変更。開幕ローテに入ったものの、打ち込まれる試合もあって2勝止まりとなった。

途中から中継ぎ登板が中心となる、悔しいシーズンを終えると、2008年は1軍登板無し。

そのオフに、23歳の若さながら、戦力外通告を受けて巨人を退団。

その後は台湾に戻って投手としてプレーし、アンダースローにも挑戦しながら結果が出ず、一度は現役引退。

それでも野手に転向して返り咲きを果たし、2018年には台湾代表に選出されるなどしている。



巨人通算成績

2006 10 3 2 59.2 31 7 1 1.81
2007 17 2 4 41.1 30 13 0 5.18
27 5 6 101.1 61 20 1 3.20

特筆すべきは与四死球の少なさです。

デビューイヤーの2006年は約60イニングで8つのみ(敬遠2つ)。防御率5点台に終わった2007年でも、与四死球率は2点台なので、若手や外国人にありがちな「四球から崩れていった」わけではありませんでした。

ちなみに通算与四死球率2.04(敬遠含)は、菅野智之の2019年までの与四死球率2.02(敬遠含)と大差なかったりします。

ボールによる時代背景を考えると、この点においては姜建銘の方が凄いのかもしれません。

 

ただ同時にそれが、2007年に成績が悪化した理由と考えられます。

四球は出してない、安打もそこまで打たれていない(41.1回で45安打)にも関わらず、防御率が5点台まで上がってしまった要因は、おそらく被本塁打の多さ(6本)によるものです。

前年約60回で2本だったのは、どんどん勝負に来るため、気がついたら打者が追い込まれていたからでしょう。結果を出して分析された2007年は、「待ってれば甘い球が来る」ということで、そこを狙い撃ちされたことが考えられます。



PICK UP GAME

2006年9月3日vs中日第20回戦(ナゴヤドーム)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
0 1 0 0 2 0 0 0 1 4
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

:姜建銘(2勝)

:佐藤充(3敗)

本塁打:二岡智宏22号(9回ソロ)

試合概要

前日の試合を落として迎えた2連戦の2戦目は、2年目の若手外国人・姜建銘をマウンドに送る。

その姜建銘は、打たせて取る投球で凡打の山。中日打線に付けいる隙を与えないでいると、打線は1点リードの5回に脇谷亮太、鈴木尚広の連続タイムリーで2点を追加。試合の主導権を握る。

 

6回以降も投げ続けた姜建銘は、スイスイと終盤まで到達。

試合も9回に二岡智宏のホームランで大勢が決すると、姜建銘は9回裏のマウンドへ。

クリーンナップを三人で抑えて、来日2勝目となる無四球完封勝利を飾った。

活躍

この年から1軍デビューした姜建銘は、8月下旬の試合でプロ初先発初勝利。そこからローテーション投手として起用されるようになっていました。

この試合は、強力・中日打線との対戦に。

相手本拠地のマウンドにも動じず、低めに丁寧に集める投球で、あれよあれよと0を重ねていきました。

 

結局終わってみれば、わずか5安打の無四球完封勝利。

この試合終了時点で防御率は0.36を記録するなど、次世代のエースとしての期待がますます高まっていきました。



思いで

なぜここで姜建銘を持ってきたのか。。。

「私が2番目くらいに名前を覚えたピッチャーだから」です。それ以上でも以下でもありません。

多分上原さんが一番最初で、2番目が今回の姜建銘。内海哲也や高橋尚成は、間違いなくその後の話でした。

それだけ「姜建銘(ジャン・チェンミン)」という名前の響きは、一度聞いたら忘れられない名前です。

 

正直印象はその時点で止まっていて、選手としての特徴はあとで成績を見返して推測するしかありませんでした。

その中で残念だと思ったのは、姜建銘はドラフトを通していないので普通に外国人枠扱いだったことです。

戦力外通告を受けた2008年は、イースタンでも2試合しか登板していません。そのためおそらく故障かなんかが原因だったと思うんですが、この年巨人にはグライシンガー、クルーン、ラミレスの新外国人が加入するなどしていました。

姜建銘の場合比較対象がそこになってしまうので、いくら将来を嘱望された右腕でも、早めの見切りとなってしまったんだと思います。

じゃあね~また明日~

おつあんず~





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