もし松本哲也の「肩」が弱くなかったら……

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やっほーおはあんず~

今回取り上げたいのは、育成選手として巨人に入団。支配下登録後は屈指の守備範囲でスーパープレーを連発した、松本哲也さんです。

現在巨人の2軍外野守備走塁コーチを務める松本哲也さんについてまとめていきます。

主な経歴

山梨学院大付属高校から専修大学を経て、2006年の育成ドラフト3位で巨人に入団。

それでも、ルーキーイヤーの2007年の春季キャンプ中に、早くも支配下登録を勝ち取ります。

つまり、よく「育成の星」に例えられる松本哲也さんが、実際に育成選手としてユニフォームを着た期間は、3週間ちょっとしかなかった計算です。

したがって、

「松本哲也は育成で努力を重ねて支配下登録を勝ち取った」

は、間違ってなくてもかなり違和感のある文章になるので注意しましょう。

どちらかというと、

「育成で拾ってみた選手が実際は支配下相当の実力だった」

という表現の方がしっくりきます。



その1年目は1軍出場無しに終わった松本哲也さんですが、2年目の2008年に1軍初出場。

翌2009年はオープン戦からアピールを続けて開幕1軍を掴むと、初安打に初出場を記録。

長打はなくても粘り強い打撃や、唯一無二の守備範囲を生かして、2番・センターとしてレギュラーの座を確保して、新人王にも輝きました。

 

翌2010年もセンターのレギュラーとしてスタートした松本哲也さんは、開幕から1ヶ月で打率が4割を超える絶好調。明らかに鋭い打球や長打も増えて、本格的な覚醒を予感させました。

ところが4月末に故障で登録抹消されると、復帰後は打撃の状態が下降。

最終的には前年を下回る打率.287に終わります。

 

そして2011年から導入された統一球が、松本哲也さんにとっては壮絶な向かい風に。

打球がとにかく野手の頭を越さず、打撃不振に苦しみシーズンわずか1安打。打率も0割台に沈みました。

その後は2012、13と再び出場機会を増やした松本哲也さんですが、2014年の橋本到の台頭によって完全に控え中心の起用法に。

それでも守備でのスーパープレーや高い走塁技術でベンチメンバーとして重用され、2017年に1軍出場がなくなったところで現役引退。

翌年から早くも3軍の外野守備走塁コーチに就任して、2019年からは現職である2軍の外野守備走塁コーチを務めています。



通算成績

2008 3 1 1 0 0 1 .000 .000 .000
2009 129 424 372 109 15 16 .293 .338 .328
2010 94 350 317 91 22 17 .287 .331 .341
2011 20 19 19 1 0 0 .053 .053 .053
2012 83 229 198 51 11 12 .258 .313 .313
2013 91 222 190 45 5 11 .237 .315 .258
2014 75 90 80 22 3 3 .275 .326 .288
2015 44 37 34 5 0 3 .147 .194 .176
2016 52 77 69 12 1 2 .174 .208 .217
591 1449 1280 336 57 65 .263 .302 .313

間違いなく転機になっているのは、2011年の統一球導入です。

タイプ的に「四球を選ばせてもらえない」選手なので、どんなに粘っても出塁率がそんなに上がりません(2009の松本哲也より2019の山本泰寛の方が出塁率が高い)。

そのためレギュラー出場には、打率を高水準で維持する必要があったんですが、それも容易にはいかなくなってしまいました。

そのイメージがあるからこそ、首脳陣の起用法も守備固め中心にシフトしていったんだと思います。



PICK UP GAME

2012年8月8日vs阪神第17回戦(東京ドーム)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 2 0 0 × 2

:高木康成(2勝)

:久保康友(5敗)

セーブ:山口鉄也(4S)

試合概要

前の試合あと1本が出ずに引き分けていた巨人は、この日も阪神先発の久保康友の前に苦戦。5回まで2安打のみに抑え込まれてしまう。

それでも巨人は、先発の小山雄輝が5回まで無失点の全力投球で応戦。プロ未勝利右腕の好投で、膠着した展開となる。

試合が動いたのは6回裏。1アウトから長野久義が内野安打で出塁すると、続く松本哲也がセンターへのタイムリーツーベースで先制。さらに坂本勇人もライト前タイムリーで繋いで、試合の均衡を破った。

その後は自慢の中継ぎ陣で、789回とパーフェクトリレー。

この日の勝利で、3年連続同星が続いていた、シーズンの阪神戦勝ち越しを決めた。

 

活躍

松本哲也さんの2012年は、前年の不振のあおりを受けて、開幕2軍スタート。一度登録されても結果がついてこず、打率1割前後を低迷する苦しいスタートになっていました。

それでも、2度目の1軍登録でスタメン出場のチャンスを得ると、徐々に打撃が回復。8月に入った辺りから、センターのレギュラーとして出場するようになっていました。



この試合は、そんなレギュラー定着間もない頃の試合。

まず初回からバットで魅せて、第1打席でツーベースヒットを放ったものの、得点には結びつかず。逆に1アウト1塁で迎えた第2打席では併殺打に倒れるなど、踏んだり蹴ったりの内容でした。

そして迎えた第3打席。

前と同様に1アウト1塁で打席に入ると、ワンスリーのバッティングカウントからランエンドヒット。

この打球がセンターの横に落ちて、先制タイムリーとなりました。

 

そして8回表には、新井良太の特大飛球をジャンプ一番でスーパーキャッチ。

復活を象徴した試合でヒーローに選ばれた松本哲也さんには、お立ち台で涙ぐむ瞬間がありました。

 

思いで

松本哲也という選手は、個人的に最も多くの「たられば」を考えてしまう選手でした。

「もし育成入団じゃなかったら、ここまで話題になっただろうか」

「もし普通の体格だったら、ここまでの夢と希望を与える選手だっただろうか」

「もし2010年に怪我をしていなかった……」

「もし2011年に統一球が導入されなかったら……」



そんな数ある「たられば」の中で、一番考えたのが、

「もし肩が強かったら……」

です。

 

松本哲也さんにとってこの「肩」の部分は、長打力と同様無視できないレベルのハンディキャップでした。

体全体を使ったスローイングでも、返ってくるのはギリギリ山なりレベルの送球。正直「これでも守備固めとして起用できる守備力ってなんだよ」と思っていたりもしました。

もしもその「肩」が、ライトも任せられるレベルの強肩だったらなら、今でも最前線で働き続けられたかもしれません。

ただ逆に、その肩のハンデをカバーするために生まれたのが、数あるスーパープレーなのかもしれません。

 

2013年4月7日の中日戦。

2点リードの9回2アウト満塁から、ライナーがセンターへ飛びました。

前に落ちてもまだ分からない。後ろに逸らせば逆転確実だったこの場面で、「肩の強い」松本哲也がどんな判断をしたのか?

 

でもやっぱり飛び込んだんでしょうね。

じゃあね~また明日~

おつあんず~





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