西村健太朗~2018年引退選手個人的回顧録④~

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ということで、第4弾の今日は西村健太朗投手です。どうぞ!

 

 

 

春の甲子園優勝投手。プロ入り後胴上げ投手4回(CS含)。巨人歴代シーズン最多セーブ記録保持者。通算470登板。
150km/hオーバーのストレート、絶品の切れ味を誇るシュート、カウント球にも決め球にもなるスライダー、手元でストンと落ちるフォークボール。
先発するのに充分なスタミナを誇り、ロングリリーフもできるし抑えもこなせる。四球から崩れる心配もない。

 

スペックを挙げると、そんじょそこらの名投手にも引けをとらない選手である。にも関わらず、その印象は「地味」。器用であるがゆえの便利屋という扱いを受けることも多かった。

西村の転機になったのは、2012年シーズン(それ以前に関しては、如何せん記憶が曖昧なのでここでは割愛させて頂く)。前年、シーズン途中から先発に回り、本領発揮。自己最多の7勝を挙げた。このまま先発としての道を歩んでいくかと思いきや、開幕前に抑えに就任。便利屋としての真骨頂を発揮見せつけた。そしてこれが大成功。一時期セットアッパーを勤めた時期もあったが、69試合で32セーブ、防御率1.14マークし、シーズンの胴上げ投手にも輝いた。

翌2013年も大活躍。自己最多の71試合に登板し、42セーブ、防御率1.13を記録。セーブ王に輝いた。同年、同じく42HPで最優秀中継ぎを受賞したマシソン、山口鉄也とともに巨人史上最強中継ぎトリオ「スコット鉄太朗」を結成した。
ようやく居場所が確立された。

 

そう思われた2014年、春先につまずく。私は西村自体はそこまで悪くなかったように感じていたが、マシソン、山口が絶不調。流れを変えるため原監督は配置転換。マシソンをクローザーに据えた。
結果としてはこれが正解だったのかもしれない。チームは3連覇を達成し、西村も転向直後はおかしい時期もあったが、最終的には持ち直し、49試合の登板で防御率も2点台に収めた。しかし私は、ここでクローザーに定着しきれなかったことが、翌年以降の苦戦に繋がったと考えている。

2015シーズン。色々あって開幕はリリーフ待機。しかし1試合に降板したのみで2軍降格。便利屋としての宿命なのか、その後先発調整を言い渡される。しかしここで悪夢が。相手選手の打球が顔面直撃。さらに復帰後の登板では打球を左足に受ける。その後復帰するも、今度は肘に違和感。結局1軍に戻ることはなかった。

2016・17シーズンは、一軍にいたりいなかったりを繰り返す。それでもそこそこ試合には投げた。全盛期には及ばないかもしれないが、まだまだやれる。そう感じさせてくれた。
それでも、体はもう限界だったのかもしれない。今シーズンはキャンプは1軍スタートも、開幕は2軍。結局一度も戻ってくることはなかった。球団から、来期の構想に入っていないことを伝えられると、潔く現役引退を表明した。

 

振り返ってみても、実績の割には何とも「地味」な野球人生。 本当の意味で全盛期と呼べるのは3年だけ。それでも、何だかんだで一軍にいた。戦力になった。人当たりの良さも評判だった。若手選手を東京ドームまで送り届けるのが日課という記事もあった。ファンサービスも熱心で、今年の宮崎キャンプでは誰よりも長くサイン対応をしていた。恐らく、巨人ファンで、西村健太朗に一度でも嫌悪感を抱いたことのある人はいないのではないだろうか。
そんなファンから愛された選手が今季限りでユニフォームを脱ぐ。

心からの感謝を伝えたい。ありがとう、健太朗。

 

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