長野久義~二岡智宏を重ねた日

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昨日の続きのようでそうでもなかったりします。

まずは昨日の記事を貼っておくのでそちらを読んでいただけるとありがたいです。

長野久義の移籍から考えるプロテクトと影響

 

昨日の記事の中では「長野久義という選手」についてはほとんど触れていませんでした。

今日は逆にそっちにしか触れません。

長野さんは私にとっても特別な選手です。そのためには私が巨人ファンになった経緯から説明しないといけません。いつかはしようと思っていましたが、今日、この形ですることになるとは思いませんでした。

 

2006年4月30日

この日付を忘れたことはありません。

東京ドームで行われた対中日戦。その日私は、初めて野球というスポーツを真剣に観ていました。

その中でも特に興味を惹かれた選手が、自分の名前と同じ漢字が付いていた、二岡智宏さんでした。

その試合で、二岡さんはとんでもない記録を打ち立てました。

2打席連続満塁ホームラン

史上初」その言葉の響きが、当時の私には新鮮だったようです。

 

それ以降、私は二岡さんを追い続けました。

中継がある日には必ず二岡さんの打席を確認し、スポーツニュースでも出てこないかをチェック。

まだほとんど読めなかった新聞も、スポーツ欄の試合詳細の「二岡」の1行を探す毎日。

そんなことをしていると、知らない間に巨人ファンになっていました。

 

事情が変わってきたのが2008年。

二岡さんが開幕戦で負傷離脱すると、坂本勇人がショートのレギュラーに定着。復帰した後もその立ち位置は変わりませんでした。

ショートのレギュラーで出場するのは坂本勇人。二岡さんはサードや控えに回ることが多くなっていました。

2割5分でホームラン1桁の若者が、前年5番で20本打った二岡さんを差し置いて試合に出続けている現状。当時小学4年生の頭では理解しているつもりでも、受け入れるのは厳しいものでした。

 

マイケル放出。二岡獲得へ

ふいに目にしたスポーツ紙でこの記載を見つけたとき、体が固まるのと共に指先がわずかに震える感覚を覚えました。

どうか嘘であって欲しい。。

願いは届かず、数日後には正式にトレードが発表されました。

 

いつ思っても、転換期があるのであればこのタイミングでした。

自分にの人生に「野球」という唯一の光を差してくれた二岡さんが移籍。

それでも私に、「巨人ファンを辞める」「日ハムに行った二岡さんだけは応援する」といった選択肢は浮かびませんでした。

その時にはもう、「読売巨人軍」に魂を売っていたんです。たとえ何があっても巨人以外は一切意に介さない。その決意は、知らない間に固まっていました。

 

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nagatomo

名古屋在住の巨人ファン 「巨人第一主義」が座右の銘 毎日更新中!!

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