杉内俊哉~2018年引退選手個人的回顧録②~

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昨日に引き続き。今日は杉内俊哉編です。お付き合い下さい。

 

 

 

 

「杉内は、この音を、どう聞いたか。」

2008年6月21日。東京ドームで行われた福岡ソフトバンクホークスとの交流戦。杉内俊哉は、巨人の天敵として、立ちはだかっていた。当時は同一チームと2連戦×2カードを戦っていた時代。巨人はこの前のカードでも、9回1失点完投勝利を献上するなど、杉内に苦杯を舐めていた。

この日も1点が遠い展開。杉内の前に、得点の糸口が見出だせない。結局0-1のまま9回裏。簡単に2アウトを取られ、打席には当時レギュラー定着1年目の坂本勇人。原監督は代打に仕事人、大道嘉典を送る。短く持ったバットでコンパクトに振り抜いた打球は、レフトスタンドへと消えていった。
上の一文は、当時の実況アナウンサーが発した一言である。勝者の大道よりも、敗者の杉内にスポットライトを当てたこの一言は、(少なくとも私のなかでは)今もなお名実況として深く心に刻まれている。

そんなこともあったが、私の中で杉内俊哉という投手は、決して特別な存在ではなかった。あくまでも他球団の一エース投手。対戦したら厄介ではあるが、他のその立場の投手と異なる感情は湧いてこない。そんな杉内の印象をガラッと変えたのが、2011年クライマックスシリーズでの、西武・涌井秀章との「究極の投手戦」だ。

試合は序盤から投手戦の様相を呈す。両チーム共に攻略の気配がない。結局0-0のまま9回まで終了。両投手ここで降板と見られた。しかし、延長10回表のマウンドに上がっていたのは、杉内だった。
だが、ここで捕まる。1死からフェルナンデスにタイムリーを浴び、無念の降板。その直前に見せた涙が、エースとしての覚悟を示していた。試合はその裏、ホークスが同点に追い付き、そのまま日本シリーズ進出を決めた。

ところで、この日の杉内の投球は、「究極の美」と称するに相応しいものであった。まず、捕手のミットが動かない。静かに、ゆったりとしたフォームから繰り出される直球が、糸を引くようにミットへ一直線。球速はせいぜい140km/h。なのにバッターは差し込まれる。そのストレートと全く同じフォームで、同じ軌道から曲がる絶品のスライダー。面白いようにタイミングが崩れるチェンジアップ。投げてる球種は3つだけ。なのに、それ以上の要素を必要としない。「野球」というスポーツにおける「投球」の1つの答えがここにある。他球団の選手に「惚れた」のは失礼ではあるが、これが最初で最後のことである。

事態が動き出したのは、そのわずか数週間後。「杉内俊哉・FA宣言」が紙面を駆け巡った。当時、内海哲也、澤村拓一以外の先発に目処がたっていなかった巨人は、即座に手を挙げる。提示した条件は「4年20億」と「背番号18」。特に背番号に関しては、過去にその番号を着けた関係者全員に許可を取るなど、正に異例の提示だった。

私としては、2006年から巨人ファンになった身であるが、幼少期のせいか桑田真澄氏の巨人時代の記憶がない。従って、巨人軍のエースナンバーがマウンドに上がる姿を、一度も見たことがなかったのである。その姿を、少し前に惚れたばかりの杉内が見せてくれる…。毎日学校から帰っては、交渉の進捗をチェックする。そんな日々が続いていた。
一方ホークスは、これに「4年22億」で対抗。エースの残留に最大限の誠意を見せていた。しかし、この頃報じられていた、杉内と球団とのいざこざもあってか、12月19日、杉内俊哉の巨人入りが正式表明された。

杉内の巨人デビューは、開幕カードの3戦目。この時チームは開幕2連敗。本拠地で内海、澤村、杉内を立てての3連敗は、許されない状況だった。そんな中でも、杉内は背番号18の誇りを示した。7回途中まで投げて被安打8、失点2、四死球7で勝利投手。確かに、あの日見た圧倒的な姿ではなかった。 だが、ランナーを出しても得点を許されない粘り、淡々と自分の間で投げ込まれる一球一球は、巨人軍の背番号18がマウンドに帰ってきたと印象付けるに相応しい瞬間だった。

ところで、杉内と言えば、触れない訳にはいかないであろう試合がある。2012年5月30日の楽天戦だ。この日杉内は史上75人目のノーヒットノーランを達成した。しかし、私がこの事実を知ったのは、翌日の試合開始30分前のことだった。

宿泊研修

私の中学校は、2年生の5月に2泊3日の宿泊研修に行くことになっていた。それを知ってからは、

「は?どう足掻いても1試合観れんやんけ」
「本当にそれ1試合と引き換えにする価値のある行事なん??」
「もしその日なんか起こったら誰が責任とるん???」

とは確かに思っていたが、本当にここまで恨むことになるとは想像もしなかった。当時は誰もスマホ等を持っておらず、宿泊先にテレビも無かったため、試合結果は翌日帰ってすぐに新聞を開くしかなかった。スポーツ欄をめくると同時に「杉内 ノーヒットノーラン」の文字が目に飛び込んで来た。リアルに5秒くらいそのまま静止した後、静かに現実を受け入れた。
ほどなくしてその日の中継が始まり、実況アナの「まだ昨日の余韻が残る東京ドーム〜」(確かこんな感じだった気がする) という台詞が聞こえてきた。その時感じた疎外感を私は一生忘れない。

おかげで今年の山口俊までノーヒットノーラン観たことない人生歩むことになるんだよおおおお!!!!!!

杉内に関する思い出の一番がこれというのも何とも情けない話ではあるが、とにかく杉内は凄かった(急に小並感)。FA移籍後3年連続2桁勝利。これがそのまま、原巨人2度目の3連覇と重なる。「優勝請負人」その言葉こそ、杉内俊哉の真の価値を表しているのかも知れない。
そんな杉内だが、以降はケガとの闘い(もはや付き合いと言った方が正確かもしれない)に苦しむことになる。

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nagatomo

名古屋在住の巨人ファン 「巨人第一主義」が座右の銘 毎日更新中!!

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