寺内崇幸~2018年引退選手個人的回顧録①~

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ブログ開設の時に年内には公開するって言ってたやつです。

書いてるのはほとんど1ヶ月くらい前なんで、いつもと若干文体が違います(今後の同シリーズも全て)。

第一弾の今日は寺内崇幸さんです。

改めて目を通すととても読めたもんじゃないですがお付き合い下さい。

 

 

 

寺内崇幸、現役引退を表明。

2018年10月11日、既に巨人から戦力外通告を受けていた寺内崇幸選手の引退が報道された。この時私は、そこはかとない安堵の気持ちを浮かべていた。

 

2009年4月18日。ナゴヤドームで行われた中日対巨人第2回戦。当時の巨人打線は、小笠原、ラミレスを中心に、売り出し中の期待の若手坂本勇人、WBC戦士亀井義行(現善行)、さらに全盛期を迎えつつあった扇の要阿部慎之助らが名を連ねていた。だがその日、誰よりも輝いていたのは、2番セカンドでスタメン出場していたプロ通算0HRの男だった。

試合は序盤、中日が主導権を握り、6回終了時点で2-0とリード。しかし、巨人打線も黙っていない。7回、ここまで沈黙してきた中日先発チェン・ウェインからアルフォンゾ、坂本のタイムリーで同点に追い付く。迎えた8回、先頭で打席に入った男が振り抜いた打球は、一直線でレフトスタンドへ。これが決勝点となった。

私はこの試合をパノラマ席から観戦していた。当時小学5年生。岐阜県の片田舎に住んでいた私にとって、球場でのプロ野球観戦はこれが2回目、年に1度のビッグイベントだった。そこでの彼の姿に、私は虜になった。

2番 セカンド 寺内崇幸

1番に俊足の鈴木尚広、3、4番にポイントゲッターを据えた打線にとっては、繋ぎ役以外の何者でもない存在。そんな選手にもヒーローになる権利が平等に巡ってくることが、野球というスポーツの魅力なのかもしれない。

2006年大学社会人ドラフト6順目。
寺内のドラフト指名順位だ。この年の高校生ドラフト1位が坂本勇人。そこから間に6人が入り、下には1人だけ(育成選手を除く)。球団から与えられた背番号は(恐らく)消去法で69。決して期待の高い選手ではなかった。それでありながら、即戦力として早い段階から結果が求められる立場。楽なスタート地点ではない。そんな寺内の最大の武器は、堅実な守備。これのアピールは、簡単なようで簡単ではない。如何せん他よりも圧倒的に優れていると示せばいいパワーや走力と違い、守備はミスをしないことが大前提となる。そしてそれを継続する。これによって居場所を確保した選手は、各チーム1人いるかいないかだ。このポジションを、寺内はつかみ取った。

その後の活躍は、周知の通りだ。寺内は絶対的な信頼を置ける守備の名手に成長。2013年には自身最多の113試合に出場。ポストシーズンで前田健太、田中将大から相次いでHRを放つなど、意外性の男、エースキラーとも呼ばれた。さらに、原監督から社会人時代の経験を買われ(実現しなかったが)緊急時の捕手としてもスタンバイするなど、そのユーティリティー振りは巨人でも随一となった。

2018年。前年限りで、育成の星・松本哲也が引退。2006年ドラフト組で残ったのは、日本プロ野球の歴史を塗り替えつつある男・坂本勇人と既にスタメン出場が何年もない状況が続く寺内のみとなっていた。 それでも、寺内にはチーム内での居場所があった。それは、自身が何年もかけて築き上げてきた領域。他の選手が取って変わるのは容易ではないと思われていた。実際、2017年シーズンは年間通して1軍に帯同。主にマギーの守備固めとして、時にはバットでサヨナラHRを放つなど、チームに欠かせない存在だった。

歯車が狂ったのは、2月の春季キャンプ。第2クール3日目、下半身の違和感を訴えた寺内は、別メニュー調整に。そのまま2軍に合流した。これが想像以上の痛手となった。いつまでたっても実戦復帰が叶わない。その間一軍では、中日を戦力外となって巨人に移籍してきて4年目の吉川大幾が、寺内のポジションで出場するようになっていた。吉川大幾はまだ26歳。これから全盛期を迎えていくプレイヤーだ。さらにそこへルーキーの若林晃弘、育成上がりの増田大輝ら若いプレイヤーがその座を虎視眈々と狙う構図。 気付けば、寺内の居場所は無くなっていた。

 

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nagatomo

名古屋在住の巨人ファン 「巨人第一主義」が座右の銘 毎日更新中!!

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